T-word

オンビジネスの日、仕事の合間にチョイ書きするミニエッセイ。毎日欠かさず書く・・・これは、もう「意地」です。

2015-09-14
ピカソとサノケン
書きたいと思いながら、書けなかったことがある。
“今さら感”が満杯だが、テーマは、あの、サノケン騒動だ。

話はピカソから始める。
若い頃から、ピカソの絵を美しいと思ったことがない。どうしてあんな絵がもてはやされるのか、今でも分からない。しかし、あるとき、あの絵に至る前に、ピカソが行きつ戻りつしながら自分の絵を模索し、作風を変化させていったことを雑誌で知った。初めて見た、“青の時代”と呼ばれる頃の絵はテーマも色調もわたし好みで、どうしてこの画家があのヘンな絵に至ったのか、不思議で仕方なかった。
それ以来、もしかしたら絵は、それ自体よりも画家の人生を愛でるものかもしれないと思うようになった。
若い頃、わたしは佐伯祐三の絵が好きだったのだが、構図とか筆づかいとか、そんなことを分理解して「好き」と思ったわけではない。壁に突き当たり、結核を患いながらパリに渡って絵を描き続けた壮絶な生き方が、強い線やチューブから直接キャンバスにしぼり出したような絵の具に現れているように見えて、心引かれたのだ。
今でも「ピカソの絵が好き」とは言わない。でも、キャンバスに向かって悩み続けたピカソを、嫌いではない。ヘンな絵のピカソを評価する人たちが、何を評価しているのか分からないけど。

佐野研二郎さんがネットであげつらわれ、叩かれているのを見て「仕方ないだろうな」と思った。なぜって、彼には「一生懸命創作に向き合っている」という姿勢が見えないもの。テキトーにアイディアを探して、テキトーに提案書をつくって、テキトーに説明しているように見えてしまう。「苦労したでしょう」と聞かれたら、「苦労したのはヒントになる素材を見つけるところくらいかなあ」と答えるんじゃないかというくらいの軽さ。それは、広告業界では“ええカッコ”だ。
ご本人がどうかは知らない。黙々とデッサンしてかたちをとり、バランス感覚を養ってきた人なのかもしれない。それなのに、そうは見せず軽がってるダンディな人なのかもしれない。
でも、「いやー、サノケンは違う」と見えてしまう。これは、多分、彼だけのことではなく、広告業界の“スタイル”だ。どうこう言っても、広告業界は軽いもの。

軽いこと自体が責められるべきだとは思わないが、広告業界の普段着のままで表舞台に出ちゃいけないというくらいの常識を持ってほしい。
仲間内で賞をつくってスターを生み出し、外の世界に押し出して業界全体のステータスアップを図る。これ自体は素晴らしい戦略だったと思うが、そうやって、先達が営々と築いてきたイメージの囲いに孔を空け、守られた世界に外の視線を呼び込んでしまったのはサノケンさんの罪だと、わたしは思う。(Tレックス)
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