2015/06/01
「会いたい」までの20年
従兄弟夫婦を訪ねる伊豆旅行から、昨夜帰宅した。
親の故郷から遠く離れたはぐれ鳥、親せきとの付き合いは「すぐに剥がれて跡も残らないマスキングテープ」程度の軽いものだが、この従兄弟には、わたしが「会いたい」と思って、遠く伊豆まで押しかけることにした。
従兄弟はこの春、大腸ガンの手術をした。手術自体はうまく行って「ずいぶんラクになった」と言うが、ガンの部位は他にもあり、肺のガンは小さいものがたくさんあるタイプで、手術はできないそうだ。X線や抗がん剤による治療は当面せず、夏までは自宅で過ごすつもりだと言う。「夫婦二人で話して、そう決めた」そうだ。

それを聞いて、従兄弟夫婦に会いたいと思った。
会ってどうするというわけではないが、「会いたい」と思ったのだ。

わたしも、確実に終わりに向かっている。もう最終コーナーを曲がってホームストレッチにかかっているのだろう。自分がどうして生を受けたのか、その意味を問いながらゴールインのより所を探しているのだと思う。そして、わたしはまだ、なぜ私がここに居るのかという答えを見つけることはできていない。
従兄弟は、とりあえず、現在のところはわたしの前を歩いている。どこかで、わたしが追い越すかもしれないけど、とりあえずは目の前に居る。いうなれば「先達」だ。「しっかり見ておかねば」と思う。

20年ほど前、高校時代の同級生が亡くなった。亡くなったことを、年末、欠礼のハガキをもらって初めて知った。1年以上の闘病生活の末に亡くなったそうだ。
彼女から、秋に電話をもらっていた。いつもなら「会いたい」と電話してくるのに,その時は「用はないけど」と言い、少し話して彼女の方から電話を切った。そんなこと初めてだったので覚えていた。亡くなる前の秋、病院からかけてきたのかもしれないし、もしかしたら、亡くなった後でかけてきたのかもしれない。今でも5%くらいはそう思っている。
ただ、その時わたしはこう思ったのだ。「自分が入院中だということを彼女は言わなかった。よかった」と。
入院中と聞いたら見舞いに行かなければならない。治らないことを知っている彼女に、わたしはどんな顔で会えばいいか考えられなかった。だから「知らなくてよかった」と思った。わたしは、そんな人間だったのだ。

10年ちょっと前、相方が死の直前まで行った。話を聞いて知人や友人が電話をかけてくれた。そのうちの何人かが「見舞いに行きたいけどつらい」と言う。その時、わたしは応えた。
「同情したり励ましたりしてもらわなくていいから、いつもと変わらず他愛のないことを話してやって」
「わたしだったら、どうしてほしいだろう」と、その時考えていた。同情なんてされたら「何言ってンの、あんただっていつか死ぬんだよ!」と心の中で毒づくに違いない。(わたしはそういう人間だ) 「絶対よくなる」なんて励まされたら最悪だ。「なんにも分かってないくせに、エラそうに言えるの?」と、言葉に出して怒るかもしれない。(多分、しないけど)
じゃあ、誰にも会いたくないかといえば、わたしのことだから、人恋しいに違いない。
それが「いつもと変わらず」ということになったのだ。
結局、相方は還ってきた。後で考えたら、彼は、自分が死ぬなんて思っていなかったのだけど。

そして、従兄弟だ。わたしは「会いたい」と思った。

20年前、10年前、そしていま。わたしは変わった。歳もとった。生き方も死に方も、現実問題として考えるようになった。考えたからといって分かるわけではない。試行錯誤の連続ではあるのだが。

わたしたちを迎えてくれた従兄弟夫婦は、今日から京都旅行に出かけているはずだ。(Tレックス)


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