2015/05/22
バロメーター
「絶妙な口あたりを目指して試行錯誤を重ね・・・」とテレビからアナウンサーのナレーションが流れてくる。イタリアの米で日本酒を造った酒蔵の話題だ。
「どうでもいいけど」と、つい口に出る。「まろやかな口あたりを目指して試行錯誤を重ね、結果として“絶妙な口あたりの酒に仕上がった”ということだよね」と相方がフォローする。
ほんと、どうでもいいことなんだけど聞き過ごせない。言語学の専門家ではないので、「絶妙な」の背景や用法の変化までは知らないので「間違っている」と決め付ける自信もない。ただ、私の語感との違いが落ち着かないのだ。

テレビや新聞、雑誌で使われる言葉と自分の語感に違和感を感じるようになったのはいつ頃からだっただろう。
わたしの仕事には「言葉で遊ぶ」という側面があるので新語や面白い使い方には寛容な方だと思うのだが、意図して遊ぶ言葉と知らずに間違うのとは違うと思っていた。
言葉は変化する。国語で習った言葉が今もそのままの用法で使われるとは限らない。それも分かっているつもりだった。しかし、自分の語感とメディアで使われる語感との間にギャップを感じることが多くなるにつれて、分かっているつもりが分かっていなかったことに気づいた。

「そうか! これが時代とズレてきたということか!」

わたしの語感は、わたしが生きてきた時代の新聞やラジオ、テレビ、小説などで培われてきた。いま、そうしたメディアは、わたしが違和感を感じる言葉で物事を伝えようとしている。正しいとか間違っているということではない。いいとか悪いでもない。モノサシがズレてきているのだ。

朝のローカル番組には“ツッコミどころ満載”の気象予報士の女性がいる。校正ウーマンのMちゃんと彼女のコメントを肴に盛り上がることも多いのだが、毎朝彼女のコメントを聴いて語感を育てる人は確実に増えていて、Mちゃんやわたしは確実に少数派になっていくのだろう。

語感は時代のメインストリームと自分とのギャップを測るバロメーターだと、遅まきながらやっと気づいた次第である。(Tレックス)


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