2014/08/07
「木を植えた男」
テレビCMにとして放映されていたので、なんとなく知ってるような気になっていたけど、実は「木を植えた男」を観たのは初めてだった。
「知っているような気になっていた」のは「男が黙々と木の苗を植え続ける」というところだけ。童話なのか、いつ頃のどこの国の話しなのか、それ以外のことはまったく知らない。つまり、あまり関心がなかったということだ。
昨晩、初めて映画を観た。30分の短編アニメーションだ。アニメの作者はフレデリック・パックというカナダ人で、フランス人が書いた短編小説が基になっている。
ストーリーは、一人の男が荒れ果てた高地にナラの種を植え、木を育て続けるというだけのことだ。男はしゃべらない。初め20歳前後だった「私」のモノローグで、アニメは進行する。
男は1000個のドングリの種から良いもの100個を選り分け、風が吹きすさぶ荒れた地に穴を掘って埋める。来る日も来る日も、黙々とそれを繰り返す。10万個のドングリから1万本の苗が育ち、100本が成長していく。(数字は定かに覚えてはいない)
第一次世界大戦が起こって終わり、第二次大戦が起こって終わる。折に触れて山岳地帯を訪れる「私」は、そのたびに黙々と木を植え続ける男と、少しずつ緑が広がる地を見る。男も「私」も、少しずつ歳を重ねていく。40年たった頃、そこには森ができ、川が流れ、人々の生活が育っていた。荒れてすさんでいた人々に笑顔が生まれ、若い入植者も増えていた。しかし、人々は木を植えた男の子とは知らない。森は自然に育ったと思っている。そして、男は養老院で静かに息を引き取る。
鉛筆で描き出した男の表情がいい。荒涼とした山岳地帯の風景がいい。淡々と語る「私」のフランス語がいい。やがて、少しずつ色が入っていく手法もいい。見ているうちに、そこが広島の平和公園であること、野外であること、蒸し暑いこと、みーんな忘れて、20世紀はじめのプロヴァンスの荒れた村を見おろす場所にわたしは居た。
このストーリーはフィクションだという。フィクションだと思う。フィクションでいいじゃないかと思う。そして、「わたしには書けない」と思った。(Tレックス)


このウインドウを閉じる


Copyright (C) 2003-2014 OFFICE-T Co.,Ltd All Rights Reserved.